ドミドミ日記

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zoom RSS 【Midnight's Children】

<<   作成日時 : 2014/07/10 05:10   >>

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【Midnight's Children】

監督:Deepa Mehta
出演:Satya Bhabha、Shriya Saran、Siddharth Narayan、Darsheel Safary、Anupam Kher、Shabana Azmi、Seema Biswas、Charles Dance、Samrat Chakrabarti、Rajat Kapoor、Soha Ali Khan、Rahul Bose、Anita Majumdar、Shahana Goswami、Chandan Roy Sanyal、Ronit Roy、Kulbhushan Kharbanda、Shikha Talsania、Zaib Shaikh、Sarita Choudhury、Vinay Pathak、Kapila Jeyawardena、Ranvir Shorey、Suresh Menon、Rajesh Khera、Salman Rushdie
音楽:Nitin Sawhney
2012年 英語


サルマン・ラシュディのブーカー賞受賞作【Midnight's Children(真夜中の子供たち)】の映画化。
失敗じゃないのぉ〜


トレイラー



〔見所〕
・ラーフル・ボース
・パッとしないシッダ君
・全英語台詞の違和感
・絵はまぁなかなかきれいかな
・サルマン・ラシュディの生声が聞ける


〔あらすじ〕
欧州で医学を修め(原作ではドイツ)故郷カシミールに帰ってきた若き医者アダム・アジズ(ラージャト・カプール)、ある日当地の大金持ち地持っちーから主治医が病気のため、娘ナシーム(シャーバナ・アズミ)の往診の以来を受ける。そこで気に入られたため、新しい主治医として用いられることになり、娘とけちこーん!(まぁ娘と結婚させるための地持っちーの企みな感じだけど。)

アダム・アジズ、アーグラーで開業中、すでに妙齢の娘3人有り。
ある日パーティーで政治家とその秘書(兼詩人)のナディール(ザイーブ・シャイク)と知り合うが、その政治家がそのパーティーの帰りに暗殺、幸運にも生き残ったナディールは逆に疑われて警察に追われるが、アダムに助けを請い地下に匿われる事になる。
そのナディールに毎回食事を運ぶ次女のムムタス(シャーハナ・ゴスワーニ)、情が移って気持ちが盛り上がってけちこーん!
ムムタスの結婚後一年ぐらいたったのかなぁ、ある日パパのアダムはムムタスがまだ処女なのを発見、ナディール
に対して激怒するが、それに乗じて元々その結婚に反対だった三女エメラルドは速攻でズフィカールに連絡、しかしナディールはムムタスに別れ(離婚)の手紙を残して一足先に逃亡。

三女エメラルド、ズフィカールとけちこーん!ま、お互いに一目惚れであったわけだけど。
その結婚式で長女アーリアのボーイフレンド(?)のアフメド・シナイ(ローニト・ロイ)がムムタスにプロボーズ、ムムタス、速攻で二度目のこちこーん!

結婚後ムムタスとアフメドはボンベイに引っ越す。アフメド、ムムタスに”アミーナ”という新しい名前をプレゼント。
以後ムムタスではなく、アミーナに改名。

アフメド・シナイ、英国人から豪邸を購入。
そしてその一年後、1947年8月15日真夜中12時、インド独立宣言のあった時刻にアミーナは長男を出産。同時刻に、アフメドの新しい豪邸に前から日々小銭をもらうために芸をしに来ていたヴィー・ヴィリー・ヴィンキーの妻も同じ病院で出産(本当の父親はヴィリーではなく豪邸の前の持ち主の英国人、ヴィリーを上手くごまくらかして妻を寝取ったのだが、ヴィリーは真相を知らない。)、ヴィリーの妻は出産と当時に死亡。

革命家ジョー(チャンダン・ローイ・サンヤル)に叶わぬ恋する新生児係りの看護婦マリー(シーマ・ビシュワス)、逃亡するジョーが最後に残した言葉、「貧乏人は金持ちに、金持ちは貧乏に」の言葉が頭をよぎり彼への愛の証として、上の新生児二人を密かに取り替える、「貧乏人は金持ちに、金持ちは貧乏に」。
アミーナの子はシヴァ(シッダ君)と名付けられヴィリーに、ヴィリーの子はサリーム(サティヤ・バーバ)と名付けられシナイ家に育てられることとなる。

直後気になるマリーはアミーナを訪ねサリームの乳母として雇われることになる。同時にアミーナ宅に芸をしに来たヴィリーとシヴァもみて驚愕する。ヴィリーとシヴァはその後もずっとシナイ家に来るので、マリーはおのずと取り替えた二人の子供たちの成長を見守ることとなる。


サリーム、小学生ぐらい?ある日「声が聞こえるんだよ!見えない人の声が聞こえるんだよ!」と興奮して嬉しがり両親に伝えるが、「馬鹿野郎!」と父に張り飛ばされる。
この頃から”真夜中の子供たち”とのテレパシー交流が始まる。交流スイッチは”鼻”。ちなみに”真夜中の子供たち”とは、1947年8月15日の夜に生まれた子供たちで、それぞれがすべて各種特殊能力を持ち世界に対して特別な任務を生まれながらにもっていると思っている。シヴァとはいつも意見が衝突。サリームとシヴァは、特に真夜中時刻丁度に生まれたので、より強力な能力をもっているとされる。

アフメド、事業に失敗、アル中へ。
サリーム、母アミーナの浮気を目撃、弾劾する。それによって叔母エメラルド/ズフィカール夫妻に預けられるべくパキスタンに送られる。特に歓迎はされないが、聡明さは認められある面重宝される。
”真夜中の子供たち”とのテレパシー交流続く。

大人になったサリーム、アミーナ/アフメドのパキスタン移住に伴い両親の元に引き戻される。

父アフメド、サリームを相変わらず冷遇、サリームの拒否も空しく強制的に鼻の手術をさせる。(サリームがいつも鼻をすすっているため。サリームの拒否は、花が正常になるとテレパシーが使えなくなると思うため)。
しかしサリームのテレパシー能力は失われず、嗅覚が一層敏感になる。

マリー、ついに新生児取替えの事実を暴露。アフメドはサリームを追い出すとするがアミーナが庇う。「私の子供です!」

サリームの妹ジャミラ、歌手の腕前を買われ大統領臨席コンサートにて歌唱披露。

印パ戦争の爆撃によりアフメド、アミーナ、ジャミラ死亡。
サリームも重傷を受け数年間こん睡状態に陥る。

こん睡状態から目覚めたサリーム、速攻で東パキスタン独立戦争へ西パキスタン兵として派遣、幸運にも生き残り戦勝パレードに沸くダッカで”真夜中の子供たち”のひとりパールヴァティ(シュレーヤ・サラン)に出会う。
パールヴァティの計らいと魔術により無事インドへ脱出、デリーのスラムでパールヴァティと一緒に暮らすようになる。
パールヴァティを通じてピクチャー・シン(クルブーシャン・カールバンダ)と知り合う。

良い雰囲気のパールヴァティとサリーム、しかしお互いの愛を受け入れあう前に脳裏に不幸な二人の未来のヴィジョンが過ぎり、一緒にならない方がお互いのためと思いパールヴァティの下を去るサリーム。怒ったパールヴァティは魔術でシヴァを呼び出し強引に関係を持ち妊娠。臨月間近のパールヴァティの元に帰ってきたサリーム、やっぱりパールヴァティとけちこーん!「それでもボクたちの子供だよ。」

ある日突然世の中が真っ暗になる天変地異発現、当の国の女首相、占い師の「”真夜中の子供たち”があなたに災いする。」という言葉を信じて非常事態令発令、シヴァに”真夜中の子供たち”狩を命じる。
シヴァ、まずは居所の分かっているパールヴァティを捕縛すべく彼女の住んでいるスラムを破壊、パールヴァティは混乱の中で死亡、魔術を掛け中の子供を見えないようにして隠す(後にピクチャー・シンに発見さる。)、その混乱の中でシヴァ、サリームを捕獲。
シヴァ、サリームを拷問に掛け他の”真夜中の子供たち”全員の居所を突き詰めて捕縛、拷問中にサリーム、シヴァへ新生児取替えの事実を吐露、シヴァ、サリームへの復讐を誓う。
”真夜中の子供たち”すべてに虚勢手術を施される。

女首相、非常事態令解除、天変地異が去り光が戻ってくる。
拘束中の”真夜中の子供たち”解放。
シヴァ、交通事故で死亡。
サリーム、元のスラム後に戻ってきてピクチャー・シンと”我が子”に再開。

ピクチャー・シンと穏やかな日々を過ごすサリーム、ある日懐かしい思い出の”グリーンチャツネ”に出会い、その製造工場を訪れるべくボンベイへ。
この”グリーンチャツネ”はあの乳母のマリーがいつも作ってくれていたもの、工場経営者は予想通りマリーだった。
「これがボクの母さんだよ」
「これがボクの息子だよ」
独立記念日の祝祭の花火を背景に、サリーム、息子、マリー、ピクチャー・シンは穏やかに幸福にサリームの誕生日を祝う。
そして生まれて一言もしゃべらなかった息子が言葉を発する。
「アブラカダブラ」(パールヴァティの魔術の呪文)
”真夜中の子供たち”二世に能力が引き継がれていく。。。。。。


あー、なんて長くなったんだろ、あらすじ。
サリームの人生と彼の家系の物語って言えば良いんだろうけど、ストーリー的には焦点定まってない感じでエピソード絵の並列って感じなんだけどさもありなん、メイキングで原作者のラシュディーが語ってるけど、「原作の中でどうしても必要な場面を監督に提出。」でそのラシュディーが脚本書いてるしね(映画中のナレーションも彼)、それを基本に小説の場面を忠実に再現てことかいね、でもそれだけ。

小説自体は今読み始めたからどう言うものかまだわからないけど、ガルシア・マルケスの”百年の孤独”チックなところがある虚実入り混じった幻想的リアリズムっぽいある家系のお話、みたいな感じで、ブーカー賞も取って一応は色々と好批評みたい。印パの相互の歴史が盛り込まれて、その独立丁度に生まれた特殊能力(テレパシーとか魔術とか空を飛ぶとかの超能力)を持ち”使命”を自覚している”真夜中の子供たち”が絡んで虚虚実実らしいのだが、そういう感じは映画では全くしない。”真夜中の子供たち”の存在も能力も映画の中では大した意味を持っていないし、小説では重要らしい”真夜中の子供たち”の中でも最も高い能力を持ち指導者的立場のサリームとシヴァの対立もただの一場面である。

思えば原作者のラシュディーが下手に絡んだのがいけなかったのではないだろうか。
確かに両者ともメイキングでのインタビューで、「前々から一緒に仕事がしたくてそれがやっと叶った。」というように話しているが、ラシュディーを尊重し過ぎて監督ディーパ・メータの映画作家としての能力は押さえられ発揮されず、ラシュディーの言う場面だけを撮影しつなげただけの監督仕事になってしまった気もする。
ディーパ・メータの映画は【Fire】【Earth】【Water】の悲劇三部作しか知らないが、作品の良し悪しはともかくこれらはかなり見ごたえのあるものだ。それに比べると今回の【Midnight's Children】はかなり見劣りがする。
メータにすっかりまかせて自由に映画作品化させた方が、映画としては力のあるものが出来たかもしれない。
しかし反面、メータは幻想的要素に弱いせいという事もいえるかもしれない。
上記悲劇三部作はメッセージ性の強い社会派的映画で、映画が訴えるものは具体的である。
【Midnight's Children】の原作がそういう要素を強くもっているかは知らないが、少なくともそこには現実的具体性にはそぐわない幻想性の強い部分があり、これが無くてはこの小説は成り立たない。
そういうテーマにメータの感性がそぐわないという事も考えられる。(ヴィム・ヴェンダースなんかの方が面白く料理するかも。)
実際今振り返って見ると、”真夜中の子供たち”の部分が非常に弱い。なくても十分成り立つ。
が、この”真夜中の子供たち”の部分を抜くと、インド激動の時代を生きた若い男の半生が非常にインパクト無くだらだらと描かれただけの駄作でもあるのだが。

と、ここまで考えて分かった。
主人公サリームに映画の中では主体性がないのだ。
小説をすべてまだ読んでいないのでなんともいえないが、サリームの主体性は”真夜中の子供たち”にあるのだろう。そしてそれが小説の中では重要で読者をひきつける一因にもなっているのが、それが映画の中ではほとんど意味の無いものになってしまっているため、ただへらへらと生きている”引き”の弱い主人公象になってしまい、観客は主人公に感情移入が出来ず、つまるところ映画全体もしまりの無い引きの弱いものになってしまってるのではないだろうか。
同じことはシヴァの描かれ方にも言えると思う。
シヴァに関してはその上映画の中で脇役の脇役ぐらいに引き下げられ小説中ほど重要さが無く、そのためにサリームとの対照の中での緊迫感がなくなり、映画をより弛緩させた物にしているのかも。
そもそもこの映画の中で感情移入できる登場人物はほとんど無い。強いて言えば、新生児を取り替えた看護婦のマリーであろうか。しかしこのマリーに於いてもかなりの脇役であるので、映画全体を通じて観客を引っ張る力は無い。

小説の映画化には色々なアプローチと方法があると思うが、原作者が絡むからといって必ずしも良い”映画”ガ出来るとは限らないと思う。
文章表現と映像表現の間には大きな隔たりがある。
原作者が何百ページを使って表現した事を、映像表現者はかなり凝縮して1時間半乃至2時間という短い時間に翻訳、翻案しなくてはならない。また、オリジナル小説の忠実な映像再現が必ずしも最高の物とも限らない。まして、原作者が自身の小説中で重要だと思う場面や言葉が、映画という映像媒体に遷す場合に必ずしも重要とも限らない。それらはその前後にある(長い、または言葉を尽くした)文章と文章場面があるからこそ生きているわけで、凝縮、短縮された映画表現中その前後を見ても生きるかは別物である。
映像には映像の言葉があるのだ。
今回は原作者ラシュディー自身が台本も書いたようだが、彼に”戯作”に於いての芸術才能が無いなら、その台本はただの原作からの抜粋に過ぎない。すべての小説家が優れた台本を書けるわけではない。戯作/台本に於いては小説とは別芸術であるという自覚の元に、舞台または映像においての視覚的効果への翻案の才能、役者表現での想像力がないと上手く行かないだろう。
上記彼の”重要場面指定”も兼ねて、メータによる原作者ラシュディーの起用は失敗だったのではないかと思える。

という風に、悲劇三部作を見ているのでそれなりの期待をこの映画にしていたが、全くの当て外れだった。
役者に関しては、まぁそもそものキャラ設定が別にぃ〜的でそれをこれ以上どう良く演じろというのが感があるので、この映画なりにちゃんとした演技を皆してるなぁという感じ。
その中でもズフィール役のラーフル・ボースはとても面白かった。私は彼がとても好きなのだが、そういう贔屓目を抜いても良かったと思う。
あとマリー役のシーマ・ビスワスも好感。エメラルドの意地悪もおけー!
主人公サリーム役は、どちらかというとシッダ君のほうが上手くやったのではないかなぁとも思う。英国人とのハーフ役なのでシッダ君じゃ黒過ぎてキャスティングはそもそも無理だと思うけど。
で、シヴァ役のシッダ君。
初の悪役で、がんばったんじゃない?ただ、こういう悪役もなかなかやるじゃん、という見極めがつくほどは出番が無かったので、なんとも言えない。無理したかなぁとも思えなくもないし、別にシッダ君じゃなくてもいいじゃんと思えなくもないし。若作りしてもラーフル・ボースがやった方がもっと面白かったかもなぁ、なんてファンらしからぬ事も思ったり。
まぁ彼的には、なんとかかんとか細いコネ繋げて繋げてでがんばって世界的映画祭監督の作品にそこそこのクレジットで出させてもらえた、ってことだけでいいんじゃないのかな、キャリアのために。ファンとしては寂しいけど。私的には、メジャーでなくてもいいからいつも全力投球のシッダ君を見ていたいなぁ。

最後に、
台詞は英語です。
インド(パキスタン)舞台のインド人(パキスタン人)映画、監督もインド人だけど、原作は英語だから別に悪いとは思わないんだけど、なんか違和感あったなぁ。役者の英語訛りが色々だったからかなぁ。(シッダ君の英語はやっぱインド訛りだと思うし。)
見たことないけど【Memories of Geisha】見たらどんな感じなのかなぁ。


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